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映画『黒川の女たち』パンフレット

映画『黒川の女たち』パンフレット

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税込み。

INTRODUCTION

80年前の戦時下、国策のもと実施された満蒙開拓により、中国はるか満洲の地に渡った開拓団。日本の敗戦が色濃くなる中、突如としてソ連軍が満洲に侵攻した。守ってくれるはずの関東軍の姿もなく満蒙開拓団は過酷な状況に追い込まれ、集団自決を選択した開拓団もあれば、逃げ続けた末に息絶えた人も多かった。そんな中、岐阜県から渡った黒川開拓団の人々は生きて日本に帰るために、敵であるソ連軍に助けを求めた。しかしその見返りは、数えで18歳以上の女性たちによる接待だった。接待の意味すらわからないまま、女性たちは性の相手として差し出されたのだ。帰国後、女性たちを待っていたのは労いではなく、差別と偏見の目。節操のない誹謗中傷。同情から口を塞ぐ村の人々。込み上げる怒りと恐怖を抑え、身をひそめる女性たち。青春の時を過ごすはずだった行先は、多くの犠牲を出し今はどこにも存在しない国。身も心も傷を負った女性たちの声はかき消され、この事実は長年伏せられてきた。だが、黒川の女性たちは手を携えた。
したこと、されたこと、みてきたこと。幾重にも重なる加害の事実と、犠牲の史実を封印させないために――。

 

STORY

今から10年ほど前、敗戦直後の満洲で起きた性暴力の実態を佐藤ハルエ、安江善子が自ら告白した。当時、ソ連軍に差し出された女性は15人。数えで18歳以上の未婚女性が犠牲となった。今はどこにもない国、満洲国。岐阜県にある白川町黒川からも佐藤ハルエ、安江善子を含む650人余りの人々が黒川開拓団として海を渡り、丸5年その国で生活を送った。石原莞爾や板垣征四郎ら関東軍幹部が仕掛けた柳条湖事件を発端に満洲事変が勃発。半年後には満洲全域を関東軍がほぼ手中におさめ、1932年に満洲国は建国された。「五族協和※1」「王道楽土※2」をスローガンにかかげていたが、実権を握った政府の中枢は日本人だった。満蒙開拓団は国策として推し進められ、ソ連防衛の兵站の前線として送り込まれた。しかし、当時のロシア外務省ファイルには、日本から満洲に渡った、地域・世帯数・人口が事細かに明記されており、黒川の記述もそこにはあった。筒抜けだったのだ。そして太平洋戦争以降、自体は急変する。1945年8月6日、広島に原爆が落とされ、その3日後にソ連は日ソ中立条約を破棄、日本に宣戦布告した。そして、8月9日未明、国境を越えて満洲国へソ連が侵攻してきた。関東軍は開拓団に知らせることなく南東に後退。成年男子も徴兵されていたため、当時残されていたのは、女性、子ども、高齢者がほとんどだった。ソ連の侵攻、そして現地の人びとからの襲撃を恐れた開拓団は、逃避行の過程で肉体的にも精神的にも追い詰められていった。そんな生死を問う状況の中、黒川開拓団の人々が助けを求めたのがソ連軍だった。彼らに護衛してもらうかわりに、15人の未婚女性がソ連兵の性の接待を強いられることとなった。

※1 「王道楽土」―武力ではなく徳によって統治すること。
※2「五族協和」―日本、中国、満州、朝鮮、蒙古の各民族が手を取り合って生きること。

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